ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲 第2番 ホ短調 作品67 

ショスタコーヴィチ(1906~1975)のピアノ三重奏曲第2番は1944年に完成された室内楽曲ですが、17歳の時に作曲された第1番に比べて演奏の機会は比べものにならないほど多く、ショスタコーヴィチのピアノ三重奏と言えばこの2番を指す事も多いようです。

チャイコフスキーピアノ三重奏曲がニコライ・ルビンシテインのため、ラフマニノフのピアノ三重奏曲第2番がチャイコフスキーのための追悼曲であったように、ショスタコーヴィチピアノ三重奏曲第2番はショスタコーヴィチの友人であり音楽学者・評論家のイワン・イワノーヴィチ・ソレルチンスキーの追悼音楽として構想され、1944年11月レニングラードで初演されました。

第1楽章の冒頭はチェロのハーモニクス奏法によって開始しますが、これは当時モスクワ音楽院で教鞭をとっていたショスタコーヴィチが入学してきた16歳のロストロポーヴィチのチェロ演奏を聴き作曲したと言うエピソードがあり、チェロ奏者にとっては難しい技法のようです。

ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲第2番♫~アルゲリッチ(ピアノ)、ミッシャ・マイスキー(チェロ)


ピアニスト谷真子公式サイトはこちらへ

ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲 第1番 ハ短調 作品8/Schostakovich Piano Trio No.1 c-moll Op.8

ショスタコーヴィチ(1906~1975)は1919年秋ペテルブルク音楽院に入学しグラズノフに師事したソビエト連邦時代の作曲家です。

ピアノ三重奏曲第1番は1923年、ショスタコーヴィチがまだ17歳の時に初めて作曲した単一楽章の室内楽曲です。

献呈は当時ショスタコーヴィチが憧れていたチヤーナ・グリヴェンコに献呈され、初演は1923年12月現サンクトブルク音楽院でショスタコーヴィチのピアノと友人2人によって発表されました。

1927年には第1回ショパン国際ピアノコンクールにも出場した優れたピアニストでもありました。

ショスタコーヴィチはソビエトの体制に迎合したピアニストとして知られていましたが、近年自分の音楽と政治体制との葛藤に悩んでいた事が分かり、西洋社会でも良く演奏されております。

ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲第1番♫~チョン・トリオ



ピアニスト谷真子公式サイトはこちらへ

ショスタコーヴィチ 24のプレリュードとフーガ Op.87/Shostakovich 24 Preludes and Fugues Op.87

「24の前奏曲とフーガ 作品87」はショスタコーヴィッチが作曲した24の前奏曲とフーガからなるピアノ曲集です。

1950年7月、ショスタコーヴィッチはバッハの没後200年を記念してライプツイッヒで開催された第1回国際バッハコンクールの審査員に選ばれソ連代表団長として参加しました。

優勝したソ連のピアニスト、タチアナ・ニコラーエワのバッハ演奏に深く感銘を受けた事と、審査でバッハの作品を多く聴いた事がきっかけとなりショスタコーヴィッチは「24の前奏曲とフーガ」を作曲しました。

ショスタコーヴィッチは1950年10月10日に作曲に着手し、当初は自身のピアノ演奏の技術を完成させるための多声的な練習曲として着想しておりましたが、構想が次第に大きくなり、途中からはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」に倣って全ての調性を網羅する連作として作曲する事に決定し、1951年2月25日に全曲を完成させました。

(第16番の前奏曲を除いて)番号通りの順番で作曲され一曲完成する毎にニコラーエワがショスタコーヴィッチのために弾いたと伝えられております。

初演は1951年4月5日ショスタコーヴィッチ自身の抜粋の演奏によって行われ、全曲演奏の初演はニコラーエワによって1952年12月23日と12月28日の2日間で行われました。

発表された当初は党から厳しい批判を受けましたが、ロシアの多くのピアニストからは絶大な支持を受け、やがてロシアのピアニストたちの重要なレパートリーとして定着いたしました。

構成は24組の前奏曲とフーガからなり全曲演奏すれば約3時間を要します。

ショスタコーヴィッチ 24の前奏曲とフーガ♫~タチアナ・ニコラーエワ
ショスタコーヴィッチの人と作品について話す♫~タチアナ・ニコラーエワ


ピアニスト谷真子公式サイト

ショスタコーヴィチ 24のプレリュード 作品34/Shostakovich 24 Preludes Op.34

「24の前奏曲 作品34」はショスタコーヴィチ(1906~1975)が作曲したピアノ曲集ですがショパンの同名の作品を参考にして作られております。

1932年12月30日から1933年3月2日にかけて作曲され、およそ1日に1曲の割合で作曲されたと言われておりますが、後年の「24の前奏曲とフーガ」に比べると全ての調性を用いているものの自由な性格の小品が集められております。

全曲の初演は1933年5月24日、モスクワでショスタコーヴィチ自身のピアノによって行われました。

ショスタコーヴィチはショパン・コンクールで落選したショックで一時演奏活動をあまり行っておりませんでしたが、「24の前奏曲」や「ピアノ協奏曲第1番」を作曲したことによって次第に自作を中心とした演奏活動に復帰致しております。

なお別の作曲家によってヴァイオリンとピアノ用編曲版の「24の前奏曲」も出ておりますが、これはショスタコーヴィチが編曲したものではありません。

ショスタコーヴィチ 24の前奏曲から♫~ベルマン


ピアニスト谷真子公式サイト

ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35,第2番 へ長調 作品102/Shostakovich Piano Concerto No.1 c-moll Op.35,No.2 F-Dur Op.102

<ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35>
ピアノ協奏曲第1番はショスタコーヴィチが1933年に作曲した1番目のピアノ協奏曲です。 正式のタイトルは「ピアノとトランペット・弦楽合奏のための協奏曲ハ短調」で、独奏ピアノと独奏トランペット、弦5部という楽器編成となっております。

1927年の1月、ショスタコーヴィチはワルシャワで開催されていたショパン・コンクールのソヴィエト代表に選ばれますが優勝を逃してしまい、ピアニストとしても活動は続けたもののそのエネルギーを作曲に集中させました。 しかし2つのキャリアを充実した形で両立することは困難であると痛感し、2年間公開での演奏活動を休止いたします。

1933年、演奏活動に復帰するにあたり自身の作品の演奏のみでピアニストとしてステージに立つことにより両立を実現させます。

ピアノ協奏曲第1番は1933年3月6日から7月20日にかけて作曲されましたが、トランペットの独奏パートは当時のレ二ングラード・フィルハーモニー交響楽団の首席トランペット奏者の手腕を想定して作曲されたと言われております。

初演は1933年10月15日、ショスタコーヴィチ自身のピアノで行われ大成功を収めました。

ピアノ協奏曲第1番は自作や他人の作品からの引用が全曲に散りばめられており、また作品全体もシニカルな性格が貫いております。 トランペットは題名にもかかわらずピアノと対等な独奏楽器であるとは言えず伝統的なピアノ協奏曲に近いものです。

ショスタコ―ヴィチ ピアノ協奏曲第1♫~キーシン


<ピアノ協奏曲 第2番 へ長調 作品102>
ピアノ協奏曲第2番は1957年作曲され、当時モスクワ音楽院在学中だった息子のために書かれ彼に献呈されました。

初演は1957年5月10日、息子マクシムのピアノで行われましたが、作曲者自身もしばしば演奏しておりました。

第3楽章に有名なハノン練習曲が借用されている他、全曲にパロディを思わせる節が随所に見られます。

ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第2番♫~ショスタコーヴィチ

P1030197.jpg

P1030198.jpg
ショスタコーヴィチ(ピアノ)


ピアニスト谷真子公式サイト




プロフィール

谷真子 masakotani

Author:谷真子 masakotani
東京音楽大学卒業

ADRESS
奈良市学園前

ピアニスト谷真子公式サイト
http://masakotani.co
奈良市学園前 谷真子ピアノ教室 教室ブログ「musica」
最新記事
カテゴリ
リンク
検索フォーム
カウンター