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2016_06
29
(Wed)09:02

ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36/Rakhmaninov Sonata for Piano No.2 b-moll Op.36

ラフマニノフ(1873~1943)のピアノ・ソナタ第2番はラフマニノフが完成させた2曲のピアノ・ソナタのうち最後の作品で1913年に書かれております。 これはピアノ協奏曲第3番を作曲して3年後にあたりすでに2曲のピアノ協奏曲と2曲の交響曲を作曲しておりラフマニノフ後期の作風が確立されております。

ラフマニノフは1913年の1月から8月まで合唱交響曲「鐘」の構想と作曲のため先人チャイコフスキーに倣ってイタリアに滞在しておりました。 しかしローマで娘が病に倒れたため名医を求めてドレスデンに立ち寄りその地で「ピアノ・ソナタ第2番」を着想致しました。

完成はロシア帝国に戻ってからであり、1913年12月16日にモスクワのリサイタルでラフマニノフ自身の演奏で初演を行いました。 同年にモスクワのグートヘイリ社より出版致しております。

献呈は音楽院時代の同級生でピアニストのマトヴェイ・プレスマンに献呈されました。

1917年のロシア革命でアメリカへ亡命するまでラフマニノフはこの作品を国内の演奏会で演奏致しましたが評判が芳しくなく、渡米後の1931年にブージー・アンド・ホークス社より改訂版を発表致しました。

しかし友人のホロヴィッツは異議を唱え、ホロヴィッツはラフマニノフ了解のもとで両者を折衷した独自の編曲(ホロヴィッツ版)を好んで演奏致しました。

かつてはホロヴィッツが独自に作った編曲版のみがホロヴィッツの演奏や録音を通じて知られていたに過ぎず、ラフマニノフの「ピアノ・ソナタ第2番」が正当に評価されていたとは言えませんでしたが、ラフマニノフ生誕100周年の1970年代を境に事情は一変し多くのピアニストがラフマニノフ自身の版(初版または改訂版)を取り上げるようになりました。 またグリモーのように独自の編曲をするピアニストもおります。

初版と改訂版の2つは一長一短のうえそれぞれに魅力があり優劣を付けることは容易ではありません。

ホロヴィッツ版を好む演奏者は初版は長すぎるし改訂版は物足りないと評価します。

改訂版を好むピアニストは、初版は冗長であり改訂版が最終決定版と評価します。

初版を好むピアニストは、改訂版は世に受け入れられるための妥協であり作曲者の望んだ真の姿ではないと評価します。

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1楽章(1931年版)

2
2楽章(1931年版)

3
3楽章(1931年版)

ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番♫~ホロヴィッツ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番♫~グリモー
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番(1913年版♫~アシュケナージ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番(1913年版♫~コチシュ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番(1931年版♫~マツーエフ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番♫~ロマノフスキー(チャイコフスキーコンクールより)


ピアニスト谷真子公式サイト
2016_06
29
(Wed)09:02

ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36/Rakhmaninov Sonata for Piano No.2 b-moll Op.36

ラフマニノフ(1873~1943)のピアノ・ソナタ第2番はラフマニノフが完成させた2曲のピアノ・ソナタのうち最後の作品で1913年に書かれております。 これはピアノ協奏曲第3番を作曲して3年後にあたりすでに2曲のピアノ協奏曲と2曲の交響曲を作曲しておりラフマニノフ後期の作風が確立されております。

ラフマニノフは1913年の1月から8月まで合唱交響曲「鐘」の構想と作曲のため先人チャイコフスキーに倣ってイタリアに滞在しておりました。 しかしローマで娘が病に倒れたため名医を求めてドレスデンに立ち寄りその地で「ピアノ・ソナタ第2番」を着想致しました。

完成はロシア帝国に戻ってからであり、1913年12月16日にモスクワのリサイタルでラフマニノフ自身の演奏で初演を行いました。 同年にモスクワのグートヘイリ社より出版致しております。

献呈は音楽院時代の同級生でピアニストのマトヴェイ・プレスマンに献呈されました。

1917年のロシア革命でアメリカへ亡命するまでラフマニノフはこの作品を国内の演奏会で演奏致しましたが評判が芳しくなく、渡米後の1931年にブージー・アンド・ホークス社より改訂版を発表致しました。

しかし友人のホロヴィッツは異議を唱え、ホロヴィッツはラフマニノフ了解のもとで両者を折衷した独自の編曲(ホロヴィッツ版)を好んで演奏致しました。

かつてはホロヴィッツが独自に作った編曲版のみがホロヴィッツの演奏や録音を通じて知られていたに過ぎず、ラフマニノフの「ピアノ・ソナタ第2番」が正当に評価されていたとは言えませんでしたが、ラフマニノフ生誕100周年の1970年代を境に事情は一変し多くのピアニストがラフマニノフ自身の版(初版または改訂版)を取り上げるようになりました。 またグリモーのように独自の編曲をするピアニストもおります。

初版と改訂版の2つは一長一短のうえそれぞれに魅力があり優劣を付けることは容易ではありません。

ホロヴィッツ版を好む演奏者は初版は長すぎるし改訂版は物足りないと評価します。

改訂版を好むピアニストは、初版は冗長であり改訂版が最終決定版と評価します。

初版を好むピアニストは、改訂版は世に受け入れられるための妥協であり作曲者の望んだ真の姿ではないと評価します。

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1楽章(1931年版)

2
2楽章(1931年版)

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3楽章(1931年版)

ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番♫~ホロヴィッツ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番♫~グリモー
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番(1913年版♫~アシュケナージ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番(1913年版♫~コチシュ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番(1931年版♫~マツーエフ
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番♫~ロマノフスキー(チャイコフスキーコンクールより)


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2016_06
27
(Mon)09:05

ラヴェル クープランの墓/Ravel Le tombeau de Couperin

1902年にドビュッシーと対面したラヴェル(1875~1937)は初めドビュッシー(1862~1918)に尊敬を払い続け、初期の作品にはドビュッシーの影響が色濃く反映されていますが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的な傾向をその作品に反映するようになってまいります。

そのような傾向が最も現れているのがこの「クープランの墓」で、クープランを代表する18世紀フランス音楽に敬意を表して1914年から1917年にかけてラヴェル最後のピアノ独奏曲の「クープランの墓」を作曲致します。

「プレリュード」、「フォルラーヌ」、「リゴドン」、「メヌエット」、「トッカータ」の6曲から成りそれぞれが第1次世界大戦で戦死した知人たちへの思い出に捧げられております。

1919年にその中から4曲(プレリュード、フォルラーヌ、メヌエット、リゴドン)を抜粋し管弦楽版をラヴェル自身が作曲しております。
ラヴェル クープランの墓♫~管弦楽版

ラヴェルはフランスへの愛国心が強く、特にクープランを尊敬しておりました。 そこでクープランを代表とする18世紀の音楽全般に対するオマージュを書こうと思い立ち1914年に「クープランの墓」の構想を練り始めます。

しかしその直後第1次世界大戦が勃発しラヴェル自身も従軍し1917年に除隊はするものの母を亡くしまた多くの友人を大戦で亡くします。 悲しみに打ちひしがれたラヴェルは中断したままになっていた曲をまた作曲し始めたのです。

「クープランの墓」という訳は古楽が日本で現在ほど知られていなかったための誤訳で、ラヴェルは18世紀フランス音楽の伝統に遡ってトンボーという音楽のジャンルを復興させたのです。

トンボーと言うのはフランス語で墓碑の事を指す名詞ではありますが音楽用語としては故人を追悼する器楽曲の意味で使われていました。 「Tombeau de~」と言うのは「故人を称えて」という意味です。

1918年にデュラン社から出版されており、1919年4月11日にピアニストのマルグリット・ロンによってパリで初演されましたが、ロンは最終曲「トッカータ」を捧げられた音楽学者のジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴの戦争未亡人でした。

ラヴェル クープランの墓♫~ぺルルミュテール
ラヴェル クープランの墓♫~ギーゼキング
ラヴェル クープランの墓♫~モニク・アース
ラヴェル クープランの墓♫~フランソワ
ラヴェル クープランの墓♫~ワイセンベルク
ラヴェル クープランの墓♫~アンジェラ・ヒューイット

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阿部裕之先生CD



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2016_06
27
(Mon)09:05

ラヴェル クープランの墓/Ravel Le tombeau de Couperin

1902年にドビュッシーと対面したラヴェル(1875~1937)は初めドビュッシー(1862~1918)に尊敬を払い続け、初期の作品にはドビュッシーの影響が色濃く反映されていますが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的な傾向をその作品に反映するようになってまいります。

そのような傾向が最も現れているのがこの「クープランの墓」で、クープランを代表する18世紀フランス音楽に敬意を表して1914年から1917年にかけてラヴェル最後のピアノ独奏曲の「クープランの墓」を作曲致します。

「プレリュード」、「フォルラーヌ」、「リゴドン」、「メヌエット」、「トッカータ」の6曲から成りそれぞれが第1次世界大戦で戦死した知人たちへの思い出に捧げられております。

1919年にその中から4曲(プレリュード、フォルラーヌ、メヌエット、リゴドン)を抜粋し管弦楽版をラヴェル自身が作曲しております。
ラヴェル クープランの墓♫~管弦楽版

ラヴェルはフランスへの愛国心が強く、特にクープランを尊敬しておりました。 そこでクープランを代表とする18世紀の音楽全般に対するオマージュを書こうと思い立ち1914年に「クープランの墓」の構想を練り始めます。

しかしその直後第1次世界大戦が勃発しラヴェル自身も従軍し1917年に除隊はするものの母を亡くしまた多くの友人を大戦で亡くします。 悲しみに打ちひしがれたラヴェルは中断したままになっていた曲をまた作曲し始めたのです。

「クープランの墓」という訳は古楽が日本で現在ほど知られていなかったための誤訳で、ラヴェルは18世紀フランス音楽の伝統に遡ってトンボーという音楽のジャンルを復興させたのです。

トンボーと言うのはフランス語で墓碑の事を指す名詞ではありますが音楽用語としては故人を追悼する器楽曲の意味で使われていました。 「Tombeau de~」と言うのは「故人を称えて」という意味です。

1918年にデュラン社から出版されており、1919年4月11日にピアニストのマルグリット・ロンによってパリで初演されましたが、ロンは最終曲「トッカータ」を捧げられた音楽学者のジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴの戦争未亡人でした。

ラヴェル クープランの墓♫~ぺルルミュテール
ラヴェル クープランの墓♫~ギーゼキング
ラヴェル クープランの墓♫~モニク・アース
ラヴェル クープランの墓♫~フランソワ
ラヴェル クープランの墓♫~ワイセンベルク
ラヴェル クープランの墓♫~アンジェラ・ヒューイット

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阿部裕之先生CD



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2016_06
24
(Fri)09:27

ブラームス 4つの小品 作品119/Brahms 4 Stucke Op.119

「4つの小品作品119」はブラームス(1833~1897)が1893年に作曲したピアノ独奏のための性格的小品集です。

ブラームスが作曲した最後のピアノ独奏作品です。

第1曲は1893年5月に残りの3曲は1893年6月に着手されオーストリアのバート=イシュルでのブラームスの夏の休暇中に完成しております。

初演は1894年3月7日ロンドンでアイベンシュタッツのピアノにより作品118と合わせて演奏されております。

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第1曲 間奏曲 ロ短調
1
決して悲観的でも絶望的でもなくすべての感情を超えた穏やかさが感じられます。

第2曲 間奏曲 ホ短調
2
近く訪れるであろう死への漠然とした不安を感じさせる曲です。 中間部は天国で来るであろうな宗教的な達観を感じさせるシンプルな曲です。

第3曲 間奏曲 ハ長調
3
テーマは東洋的な五音音階で作られていますが、ドイツ的な生真面目さを併せ持った「giocoso」です。

第4曲 狂詩曲 変ホ長調
4
堂々としたファンファーレのような重厚な和音によるテーマで幕を開け非常に交響的な曲です。 最後は重々しい変ホ短調で劇的に終わります。

ブラームス 4つの小品♫~ケンプ
ブラームス 4つの小品♫~ぺライア
ブラームス 4つの小品♫~ルプー
ブラームス 4つの小品♫~リヒテル
ブラームス 4つの小品♫~シフ
ブラームス 4つの小品♫~ルドルフ・ゼルキン


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