続 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 「告別」
<ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」>
「告別」はベートーヴェンの弟子であり、友人であり、後援者であったハプスブルクの貴族のルドルフ大公に献呈されたピアノ・ソナタです。 ベートーヴェン自身が標題を付けたのはこの「告別」と「悲愴」の2曲だけで、他は愛称として呼ばれているだけです。
1809年4月9日、オーストリアとナポレオン率いるフランス軍は交戦状態に入ります。 そして早くも5月9日にはフランス軍はウイーン郊外までせまり、5月12日ナポレオン軍はウイーンに侵入する事になります。 そこでオーストリアの貴族はウイーーンを逃れて田舎の領地に逃げます。 ルドルフ大公も5月4日ウイーンを立ちます。 この時のベートーヴェンの愛する人との別れの悲しさを歌ったのが「告別」の第1楽章です。「Das Lebewohl, Les Adieux」(告別)

ベートーヴェンはルドルフ大公のいないウイーンの混乱の中で半年以上大公の戻ってくるのを不安な思いで待ちます。 その時の気持ちを歌ったのが第2楽章です。「Abwesenheit, L'absence」(不在)

幸い10月14日に戦争は終わり、11月にはフランス軍が撤退し、翌年1月に大公はウイーンに戻ってきます。 この時の再会の喜びを歌っているのが第3楽章です。「Das Wiedersehen, Le retour」(再会)

多分1809年5月に書き始め、1810年の初秋には完成したのだろうと考えられています。
各楽章の初めにベートーヴェン自身がドイツ語で標題を付けていますが、出版された時に全てフランス語に変わっていたためベートーヴェンは大変怒り出版社に抗議したそうです。 今ではドイツ語とフランス語と両方表記されています。
第1楽章では序奏の最初の3つの音符(ト、ヘ、変ホ)にLe-be-wohlと書き込んでおり、第2楽章と第3楽章では冒頭のイタリア語の発想記号の下にドイツ語で補足の書き込みをしています。
この「告別」は東京で往年の名ピアニスト、ワルター・ハウツイツヒのレッスンを受講した事があるのですが、目の前で演奏されるハウツイッヒの「告別」の音楽に感動したのを覚えています。
この曲はベートーヴェンのピアノ曲には珍しく、華やかな技巧をひけらかす部分がかなりあるのですが、音楽としてはベートーヴェンの内面を美しく語っており、そこがこの曲の大変難しい所です。 そういう意味で、納得させられたハウツイッヒのピアノでした。
(ハウツイツヒは1921年ウイーン生まれのピアニストで、シュナーベルにも師事した事のある名ピアニストです。)
<ルドルフ大公>
ルドルフ大公は1788年フィレンツェで生まれ1832年にウイーン郊外のバーデンで亡くなったマリア・テレージア女帝の孫のオーストリアの貴族です。 音楽を愛しかなり優れた才能を示していたようです。 ベートーヴェンに師事し、弟子や後援者という関係を超えて、深い友情でベートーヴェンとは結ばれていたようです。
多くの曲がルドルフ大公に献呈されており、例えばピアノ協奏曲第4番、第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ「告別」、「ハンマークラヴイ―ア」、ピアノ三重奏曲 「大公」、大司教として就任した大公の就任式のためのミサ曲「ミサ・ソレムニス」等があります。
♬ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第26番 「告別」~ダニエル・バレンボイム♬
♬ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第26番 「告別」~クラウデイオ・アラウ♬
明日は、シューベルトの「4つの即興曲 作品90」と「4つの即興曲 作品142」について書いてみます。 単独で発表会等で良く弾かれますが、この8曲だけでCDを出すピアニストもいるくらい美しい作品です。
「告別」はベートーヴェンの弟子であり、友人であり、後援者であったハプスブルクの貴族のルドルフ大公に献呈されたピアノ・ソナタです。 ベートーヴェン自身が標題を付けたのはこの「告別」と「悲愴」の2曲だけで、他は愛称として呼ばれているだけです。
1809年4月9日、オーストリアとナポレオン率いるフランス軍は交戦状態に入ります。 そして早くも5月9日にはフランス軍はウイーン郊外までせまり、5月12日ナポレオン軍はウイーンに侵入する事になります。 そこでオーストリアの貴族はウイーーンを逃れて田舎の領地に逃げます。 ルドルフ大公も5月4日ウイーンを立ちます。 この時のベートーヴェンの愛する人との別れの悲しさを歌ったのが「告別」の第1楽章です。「Das Lebewohl, Les Adieux」(告別)

ベートーヴェンはルドルフ大公のいないウイーンの混乱の中で半年以上大公の戻ってくるのを不安な思いで待ちます。 その時の気持ちを歌ったのが第2楽章です。「Abwesenheit, L'absence」(不在)

幸い10月14日に戦争は終わり、11月にはフランス軍が撤退し、翌年1月に大公はウイーンに戻ってきます。 この時の再会の喜びを歌っているのが第3楽章です。「Das Wiedersehen, Le retour」(再会)

多分1809年5月に書き始め、1810年の初秋には完成したのだろうと考えられています。
各楽章の初めにベートーヴェン自身がドイツ語で標題を付けていますが、出版された時に全てフランス語に変わっていたためベートーヴェンは大変怒り出版社に抗議したそうです。 今ではドイツ語とフランス語と両方表記されています。
第1楽章では序奏の最初の3つの音符(ト、ヘ、変ホ)にLe-be-wohlと書き込んでおり、第2楽章と第3楽章では冒頭のイタリア語の発想記号の下にドイツ語で補足の書き込みをしています。
この「告別」は東京で往年の名ピアニスト、ワルター・ハウツイツヒのレッスンを受講した事があるのですが、目の前で演奏されるハウツイッヒの「告別」の音楽に感動したのを覚えています。
この曲はベートーヴェンのピアノ曲には珍しく、華やかな技巧をひけらかす部分がかなりあるのですが、音楽としてはベートーヴェンの内面を美しく語っており、そこがこの曲の大変難しい所です。 そういう意味で、納得させられたハウツイッヒのピアノでした。
(ハウツイツヒは1921年ウイーン生まれのピアニストで、シュナーベルにも師事した事のある名ピアニストです。)
<ルドルフ大公>
ルドルフ大公は1788年フィレンツェで生まれ1832年にウイーン郊外のバーデンで亡くなったマリア・テレージア女帝の孫のオーストリアの貴族です。 音楽を愛しかなり優れた才能を示していたようです。 ベートーヴェンに師事し、弟子や後援者という関係を超えて、深い友情でベートーヴェンとは結ばれていたようです。
多くの曲がルドルフ大公に献呈されており、例えばピアノ協奏曲第4番、第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ「告別」、「ハンマークラヴイ―ア」、ピアノ三重奏曲 「大公」、大司教として就任した大公の就任式のためのミサ曲「ミサ・ソレムニス」等があります。
♬ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第26番 「告別」~ダニエル・バレンボイム♬
♬ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第26番 「告別」~クラウデイオ・アラウ♬
明日は、シューベルトの「4つの即興曲 作品90」と「4つの即興曲 作品142」について書いてみます。 単独で発表会等で良く弾かれますが、この8曲だけでCDを出すピアニストもいるくらい美しい作品です。