シューベルト 4つの即興曲Op.90, Op.142(全8曲)
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フランツ・シューベルト(1797~1828)は決して裕福ではない教師の息子として生まれますが、その才能を認められ1808年に奨学金を得てウイーンのコンヴィクト(寄宿制神学校)に入ります。
コンヴィクトとはウイーン楽友協会音楽院(現代のウイーン国立音楽大学)の前身の学校です。 そこで宮廷礼拝堂少年聖歌隊(1498年神聖ローマ帝国皇帝によって設立された聖歌隊で現在のウイーン少年合唱団)の一員として17歳の変声期を迎えるまで音楽のお勉強をしています。 この時の指導者はアントニオ・サリエリですが、サリエリにはコンヴィクトを去った後も授業を受けていたようです。
コンヴィクトではモーツアルトの作品と出会う等多くの刺激を受けたようで、多くの同級生達にも助けられその天才ぶりを作曲で示していくようになります。
1813年コンヴィクトを去り教師の仕事を得ますが、1816年からは友人のアドヴァイスで芸術活動に専念するようになり、少年聖歌隊の卒業生の自宅に寄宿しシューベルティアーデと呼ばれる音楽活動を行っていきます。

即興曲を作曲したのは1827年でシューベルトの最晩年にあたります。 作品90と作品142の8曲ですが、レベル的には難しいものでも中級程度ですので、単独で子どもの発表会やコンクールで良く弾かれ親しまれている曲が多いです。
しかし一音一音の音の美しさの追及には際限のないものがあり、即興曲だけでCDを出すピアニストもいるくらい美意識に溢れた作品で私の好きな作品の一つです。

(アルフレッド・ブレンデル シューベルト4つの即興曲CD)

(シュヌアー教授 シューベルト4つの即興曲CD)
作品90(D899)は4つの小品でできていますが、自由な旋律の美しさが魅力の作品です。
Op.90-2やOp.90-4は小学生で皆さらう曲で、一見ツエル二ーの練習曲にも見えるピアニスティックな技巧を見せつける曲です。 しかしその一つずつの音の美しさの追及には際限がありません。

Op.90-2

Op.90-4
Op90-3はアインシュタインが「無言歌」だと評したそうですが、上声部はドイツリートの歌のように聴こえます。
作品142(D935)も4つの曲からできていますが、作品90とは少し違い構築性に優れています。 シューマンは第3曲を除いて一つのソナタだという解釈を示しています。
Op.142-3は独立した曲として良く子どものコンクールの課題曲になる変奏曲ですが、主題は下にリンクしたシューベルトの作品ですでに使われているものです。

Op.142-3
♬劇付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ」の間奏曲第3曲♬
♬弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」第2楽章♬
♫シューベルト4つの即興曲 作品90-2♫~ツイメルマン
♫シューベルト 4つの即興曲 作品90-3♫~キーシン
♫シューベルト 4つの即興曲 作品90-4♫~キーシン
♫シューベルト 4つの即興曲 作品142-3♫~キーシン
♬シューベルト 4つの即興曲 作品90 D899~アルフレッド・ブレンデル♬
♬シューベルト 4つの即興曲 作品142 D935~アルフレッド・ブレンデル♬
アルフレッド・ブレンデル
ドイツ音楽には定評のある巨匠です。 ベートーヴェン、シューベルト、リスト、ハイドンを弾く時には私は必ずチェックをするピアニストです。 楽譜に書かれている事を正確無比に再現するその真摯さはピアニストのお手本というべき姿勢で、多くのピアニストに尊敬されているピアニストです。 文学にも造詣が深く本も出されています。 1983年オックスフォード大学から音楽の名誉博士号を贈られています。
フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シュヌアー
同じくドイツ音楽では定評のある元デトモルト音楽大学の学長です。 ミュンヘン国際音楽コンクール1位というキャリアを持っていらっしゃいます。 名教授として名高く日本にも多くのお弟子さんがおられます。 昨日ご紹介したクラウス・シルデ先生と同じマイスター・ミュージックから数多くのCDを出されていますが、恩師の故片岡みどり先生(相愛大学名誉教授)の門下の先輩の方がデトモルトでシュヌアー先生に師事されていたので、そのご縁から一度コンサートに伺った事があります。

♪マイスター・ミュージック♪
明日は、リストのスペイン狂詩曲について書きます。 この曲は技巧的には大変高度のテクニックを要求され、非常に演奏効果の高い華やかな曲です。 スペインのファリアとホタ・アラゴネーサという民族舞曲がモティーフとなっていますので、曲の理解の一助のために、スペインの文化の一側面である2つの民族舞踊をyou tubeからアップしてみます。

フランツ・シューベルト(1797~1828)は決して裕福ではない教師の息子として生まれますが、その才能を認められ1808年に奨学金を得てウイーンのコンヴィクト(寄宿制神学校)に入ります。
コンヴィクトとはウイーン楽友協会音楽院(現代のウイーン国立音楽大学)の前身の学校です。 そこで宮廷礼拝堂少年聖歌隊(1498年神聖ローマ帝国皇帝によって設立された聖歌隊で現在のウイーン少年合唱団)の一員として17歳の変声期を迎えるまで音楽のお勉強をしています。 この時の指導者はアントニオ・サリエリですが、サリエリにはコンヴィクトを去った後も授業を受けていたようです。
コンヴィクトではモーツアルトの作品と出会う等多くの刺激を受けたようで、多くの同級生達にも助けられその天才ぶりを作曲で示していくようになります。
1813年コンヴィクトを去り教師の仕事を得ますが、1816年からは友人のアドヴァイスで芸術活動に専念するようになり、少年聖歌隊の卒業生の自宅に寄宿しシューベルティアーデと呼ばれる音楽活動を行っていきます。

即興曲を作曲したのは1827年でシューベルトの最晩年にあたります。 作品90と作品142の8曲ですが、レベル的には難しいものでも中級程度ですので、単独で子どもの発表会やコンクールで良く弾かれ親しまれている曲が多いです。
しかし一音一音の音の美しさの追及には際限のないものがあり、即興曲だけでCDを出すピアニストもいるくらい美意識に溢れた作品で私の好きな作品の一つです。

(アルフレッド・ブレンデル シューベルト4つの即興曲CD)

(シュヌアー教授 シューベルト4つの即興曲CD)
作品90(D899)は4つの小品でできていますが、自由な旋律の美しさが魅力の作品です。
Op.90-2やOp.90-4は小学生で皆さらう曲で、一見ツエル二ーの練習曲にも見えるピアニスティックな技巧を見せつける曲です。 しかしその一つずつの音の美しさの追及には際限がありません。

Op.90-2

Op.90-4
Op90-3はアインシュタインが「無言歌」だと評したそうですが、上声部はドイツリートの歌のように聴こえます。
作品142(D935)も4つの曲からできていますが、作品90とは少し違い構築性に優れています。 シューマンは第3曲を除いて一つのソナタだという解釈を示しています。
Op.142-3は独立した曲として良く子どものコンクールの課題曲になる変奏曲ですが、主題は下にリンクしたシューベルトの作品ですでに使われているものです。

Op.142-3
♬劇付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ」の間奏曲第3曲♬
♬弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」第2楽章♬
♫シューベルト4つの即興曲 作品90-2♫~ツイメルマン
♫シューベルト 4つの即興曲 作品90-3♫~キーシン
♫シューベルト 4つの即興曲 作品90-4♫~キーシン
♫シューベルト 4つの即興曲 作品142-3♫~キーシン
♬シューベルト 4つの即興曲 作品90 D899~アルフレッド・ブレンデル♬
♬シューベルト 4つの即興曲 作品142 D935~アルフレッド・ブレンデル♬
アルフレッド・ブレンデル
ドイツ音楽には定評のある巨匠です。 ベートーヴェン、シューベルト、リスト、ハイドンを弾く時には私は必ずチェックをするピアニストです。 楽譜に書かれている事を正確無比に再現するその真摯さはピアニストのお手本というべき姿勢で、多くのピアニストに尊敬されているピアニストです。 文学にも造詣が深く本も出されています。 1983年オックスフォード大学から音楽の名誉博士号を贈られています。
フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シュヌアー
同じくドイツ音楽では定評のある元デトモルト音楽大学の学長です。 ミュンヘン国際音楽コンクール1位というキャリアを持っていらっしゃいます。 名教授として名高く日本にも多くのお弟子さんがおられます。 昨日ご紹介したクラウス・シルデ先生と同じマイスター・ミュージックから数多くのCDを出されていますが、恩師の故片岡みどり先生(相愛大学名誉教授)の門下の先輩の方がデトモルトでシュヌアー先生に師事されていたので、そのご縁から一度コンサートに伺った事があります。

♪マイスター・ミュージック♪
明日は、リストのスペイン狂詩曲について書きます。 この曲は技巧的には大変高度のテクニックを要求され、非常に演奏効果の高い華やかな曲です。 スペインのファリアとホタ・アラゴネーサという民族舞曲がモティーフとなっていますので、曲の理解の一助のために、スペインの文化の一側面である2つの民族舞踊をyou tubeからアップしてみます。
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