ブラームス ピアノ協奏曲第1番 二短調 作品15

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ヨハネス・ブラームス(1833~1897)は全部で2曲のピアノ協奏曲を残しておりますが、1858年2月に完成されたこの第1番は最初からピアノ協奏曲として着想されたものではありませんでした。 

ブラームスが20歳の1854年3月に「二台のピアノのためのソナタ」としてひとまず完成した曲がありました。 これはブラームスがシューマンと出会いシューマンによって世に紹介された半年後の事でしたが、ブラームスはこの曲に納得せずこれを交響曲に改作しようと試みます。  しかしこの改作も断念し最終的に1858年2月25歳の時ににピアノ協奏曲として完成させる事になりました。

この年齢はベートーヴェンが最初のピアノ協奏曲を書いた年齢と同じですが、ウイーンでの最初の公開演奏会でベートーヴェンが大成功を収めたのに比べハノーファーでブラームス自身によって初演されたブラームスのピアノ協奏曲第1番は評価はあまり良いものではありませんでした。

ブラームスは20歳の時、シューマンと出会い、シューマンは「来るべき作曲家が現れた」との論評でブラ―ムスを広く世に紹介します。 シューマンと仲間の作曲家はブラームスに交響曲の作曲を勧めますがブラ―ムスはなかなか大作にとりかかりませんでした。 しかしシューマンの死でブラームスは強い決心を抱き「2台のピアノのためのソナタ」を土台に交響曲作曲に取り掛かります。
 が自らの非力を悟ったブラームスは交響曲を書くのをあきらめピアノ協奏曲を作り始めたのでした。

19世紀中頃はリストの作品のような響きや、ショパンのような甘い旋律が好まれており、ブラームスの重厚で古典的な響きは聴衆の耳に馴染みませんでした。 また当時の常識を破るように管弦楽が主体となっており、難しいピアノ・パートでありながらその響きが管弦楽と融けあっているこの曲の真価は当時は理解されませんでした。 この曲の美しさが聴衆の心を打つようになったのは初演から30年を過ぎての事でした。

第1楽章は古典的な協奏曲の影響があり協奏曲風ソナタ形式で書かれております。 悲劇的な情熱を秘めた力強い表現で最後は力強いクライマックスで終わります。

第2楽章は宗教的な静かさをたたえた楽章でシューマンへの追悼が込められていると言われております。

第3楽章はピアノが表面に出てきて躍動感あふれておりピアノ協奏曲としての魅力が十分に出ております。

ブラームス ピアノ協奏曲第1番♫~ポリー二(ピアノ)
ブラ―ムス ピアノ協奏曲第1番♫~ツイメルマン(ピアノ)
ブラームス ピアノ協奏曲第1番♫~エレーヌ・グリモー(ピアノ)
ブラームス ピアノ協奏曲第1番♫~ブレンデル

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ケンプ

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ブレンデル

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ポリー二

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バックハウス


明日はショパンの英雄ポロネーズについて書きます。






 


プロフィール

谷真子 masakotani

Author:谷真子 masakotani
東京音楽大学卒業

ADRESS
奈良市学園前

ピアニスト谷真子公式サイト
http://masakotani.co
奈良市学園前 谷真子ピアノ教室 教室ブログ「musica」
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