べートーヴェン ピアノ三重奏曲 第5番「幽霊」、第7番「大公」

<ピアノ三重奏曲 第5番 ニ長調 作品70-1 「幽霊」>
べート―ヴェン(1770~1827)の作品70は2曲のピアノ三重奏曲からなっておりますが、Op.70-1は1808年に完成されました。 続いて同年Op.70-2が作曲されこれは第6番とされております。

2曲とも元来はルドルフ大公に献呈するピアノ・ソナタとして意図されておりましたが、エルデーディ伯爵夫人に頼まれ2曲のピアノ三重奏曲に変え1809年ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版しエルデーディ伯爵夫人に献呈されました。 

作曲の時期はベートーヴェン中期の「傑作の森」と呼ばれる時期で、第5・第6交響曲に続いて作曲され、また続いてピアノ協奏曲第5番を作曲いたしております。

この後はウイーンがフランス軍に包囲されるとか、耳が完全に聴こえなくなるとか、経済的な不安定とかで創作に脂が乗らなくなり悩める時期が続き、べートーヴェンの後期へと入って行く事になります。

初演は1808年12月にエルデーディ伯爵夫人宅でOp.70-1とOp.70-2と2曲ベートーヴェン自身のピアノで行われました。 第1楽章と第3楽章の溌剌とした快活な音楽に比べ第2楽章は不気味で暗く神秘的な感じがするため、通称「幽霊」と呼ばれるようになりました。 

べートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番 「幽霊」♫~ルドルフ・ゼルキン、ゴールドべルク、カザルス
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番 「幽霊」♫~アックス、アイザック・スターン、ヨーヨーマ


<ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 Op.97 「大公」>
作品97は1811年完成しルドルフ大公に献呈された事から「大公」と呼ばれて親しまれている優雅で堂々とした気品のある作品です。 初演は1814年4月11日ウイーンでベートーヴェンのピアノで行われました。 しかしこの頃はベートーヴェンはほとんど耳が聴こえずこれを最後にべートーヴェンは公の席ではピアノは弾いておりません。

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ルドルフ大公
1788年フィレンツェで生まれたオーストリアの貴族です。 ベートーヴェンよりも18歳年下で、またベートーヴェンが亡くなった5年後の1832年にウイーンの近くのバーデンで亡くなっております。 マリア・テレジア女帝の孫にあたります。 音楽を愛し、音楽の才能もすぐれたものがありベートーヴェンに師事しておりましたが、ベートーヴェンに年金を支給したりしてパトロンとしてもベートーヴェンを応援しており、二人は師弟やパトロンという人間関係を超えた深い友情で結ばれていたようです。 ピアノ・トリオ第7番「大公」を初め、1818年大司教就任にあたって献呈された「ミサ・ソレムニス」やピアノ協奏曲4番・5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ「告別」・「ハンマークラヴィーア」、ヴァイオリン・ソナタ10番などべートーヴェンからルドルフ大公に献呈された曲は枚挙のいとまがないほどです。 


ピアノ三重奏曲第7番「大公」は4つの楽章からなり、ピアノ協奏曲「皇帝」と共通するような雄大な楽想で大規模な構成となっております。 またルドルフ大公は素人離れしたピアノの奏者であったため、大公のピアノの技巧を活かそうと華やかな演奏効果の高いものになっており、ピアノ三重奏曲のぎりぎりの世界を示しており、ベートーヴェンがこの分野から遠ざかる原因となったのではと思われます。

しかしピアノが全体のバランスを乱す事はなく、3つの楽器が協調していて品格のある色彩感を生み出しております。 ベートーヴェン自身かなりの自信をこの作品には持っていたようで大公にもその趣旨の手紙を送っております。 美しく高雅な旋律はベートーヴェンが室内楽の分野では後期の様式に踏み込み始めていたと言えるかもしれません。

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番 「大公」♫~ケンプ、メニューイン、ロストロポーヴィッチ 
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番 「大公」♫~アシュケナージ、パールマン、ハレル
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番 「大公」♫~コルトー、チボー、カザルス
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番 「大公」♫~オボーリン、オイストラフ、クヌシュエヴィツキー

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ケンプ

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アシュケナージ


明日はショパンの舟歌と子守歌について書きます。

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プロフィール

谷真子 masakotani

Author:谷真子 masakotani
東京音楽大学卒業

ADRESS
奈良市学園前

ピアニスト谷真子公式サイト
http://masakotani.co
奈良市学園前 谷真子ピアノ教室 教室ブログ「musica」
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