ラヴェル クープランの墓/Ravel Le tombeau de Couperin

1902年にドビュッシーと対面したラヴェル(1875~1937)は初めドビュッシー(1862~1918)に尊敬を払い続け、初期の作品にはドビュッシーの影響が色濃く反映されていますが、次第に明確な旋律や簡潔な様式を求め、18世紀の古典主義的な傾向をその作品に反映するようになってまいります。

そのような傾向が最も現れているのがこの「クープランの墓」で、クープランを代表する18世紀フランス音楽に敬意を表して1914年から1917年にかけてラヴェル最後のピアノ独奏曲の「クープランの墓」を作曲致します。

「プレリュード」、「フォルラーヌ」、「リゴドン」、「メヌエット」、「トッカータ」の6曲から成りそれぞれが第1次世界大戦で戦死した知人たちへの思い出に捧げられております。

1919年にその中から4曲(プレリュード、フォルラーヌ、メヌエット、リゴドン)を抜粋し管弦楽版をラヴェル自身が作曲しております。
ラヴェル クープランの墓♫~管弦楽版

ラヴェルはフランスへの愛国心が強く、特にクープランを尊敬しておりました。 そこでクープランを代表とする18世紀の音楽全般に対するオマージュを書こうと思い立ち1914年に「クープランの墓」の構想を練り始めます。

しかしその直後第1次世界大戦が勃発しラヴェル自身も従軍し1917年に除隊はするものの母を亡くしまた多くの友人を大戦で亡くします。 悲しみに打ちひしがれたラヴェルは中断したままになっていた曲をまた作曲し始めたのです。

「クープランの墓」という訳は古楽が日本で現在ほど知られていなかったための誤訳で、ラヴェルは18世紀フランス音楽の伝統に遡ってトンボーという音楽のジャンルを復興させたのです。

トンボーと言うのはフランス語で墓碑の事を指す名詞ではありますが音楽用語としては故人を追悼する器楽曲の意味で使われていました。 「Tombeau de~」と言うのは「故人を称えて」という意味です。

1918年にデュラン社から出版されており、1919年4月11日にピアニストのマルグリット・ロンによってパリで初演されましたが、ロンは最終曲「トッカータ」を捧げられた音楽学者のジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴの戦争未亡人でした。

ラヴェル クープランの墓♫~ぺルルミュテール
ラヴェル クープランの墓♫~ギーゼキング
ラヴェル クープランの墓♫~モニク・アース
ラヴェル クープランの墓♫~フランソワ
ラヴェル クープランの墓♫~ワイセンベルク
ラヴェル クープランの墓♫~アンジェラ・ヒューイット

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阿部裕之先生CD



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プロフィール

谷真子 masakotani

Author:谷真子 masakotani
東京音楽大学卒業

ADRESS
奈良市学園前

ピアニスト谷真子公式サイト
http://masakotani.co
奈良市学園前 谷真子ピアノ教室 教室ブログ「musica」
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