バッハ「マタイ受難曲」BWV244
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J.S.Bach(1685~1750)はドイツの作曲家ですが、今日はバッハの「マタイ受難曲」について書いてみようと思います。 この「マタイ受難曲」は1727年ライプツィヒの聖トーマス教会で初演された作品ですが、新約聖書の中の「マタイによる福音書」の第26章と第27章の記述をバッハが音楽で描写したものです。
新約聖書には「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」と4つの福音書がありますが、バッハが自分で音楽を付けたのは「マタイ」と「ヨハネ」の2つだけです。
福音書というのは「キリストの誕生からの伝記と言行、そして受難と死と復活」を4人の使徒がそれぞれに記述したものですが、同じ出来事でも4人それぞれ述べる角度が違いますので当然「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」ではバッハの音楽も違ってきます。 何も知らずにただ音楽を聴くだけでもその精神性に深く感動させられますが、聖書の中のキリストの受難の出来事を知るとより音楽への理解も深まるのではないかと思います。


バッハが音楽を付けているのは新約聖書の「マタイによる福音書」の中の第26章1節から第27章66節までの6ページ程の部分ですが、バッハはまず「マタイ受難曲」の冒頭で、キリストが磔になるため十字架へ静かに進む道のりの場面を音楽で描写しています。(第1曲)


そしてバッハは聖書の第26章と第27章を音楽で描写していきます。
聖書の「マタイによる福音書」の第26章と第27章は、祭司長達の合議、ユダの裏切り、最後の晩餐、オリーブ山での弟子たちの躓きのイエスの予言、ゲッセマネの園での人間イエスの苦しみ、捕縛、大祭司の尋問、ペテロの否認、ユダの後悔、ピラトの尋問とイエスの愛、ピラトの判決とイエスへの鞭打ちと民衆のイエスへの嘲弄、イエス・キリストの十字架への道、そして磔、イエスの死、埋葬とキリストの受難を記述しています。。
バッハはこのキリストの受難を聖書の記述に従って音楽でそれを描写していきます。
そして最後は墓前にひざまずく信徒達の祈りを描写した「終曲」で音楽は静かに終わります。

このイエスの受難の場面は聖書の中でも一番良く絵画や文学でも取り上げられる場面ですので皆さん想像はしやすいのではないかと思います。
音楽的にさらに詳しい事は音楽学者の礒山雅さん(1946~)の「マタイ受難曲」(東京書籍)をご参考になさって下さい。 日本を代表するバッハの研究家の方です。
ヘンデルに比べるとバッハはその死後、一部の作品を除けばあまり上演されなくなってしまいます。 バッハを大変尊敬していたメンデルスゾーンは初演以後100年近く経った1829年自身の指揮でバッハの「マタイ受難曲」を復活上演します。 19世紀のバッハ復興運動のきっかけとなった出来事です。
バッハ「マタイ受難曲」第1曲~カール・リヒター
https://www.youtube.com/watch?v=ckPYCVX2I4Y
バッハ「マタイ受難曲」終曲~カール・リヒター
https://www.youtube.com/watch?v=8ZnlgMgou-g
第49(58)曲<アリア>のご紹介
聖書の「マタイによる福音書」の第27章23節では「しかし、ピラトは言った、"あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか"。すると彼らはいっそう激しく叫んで、"十字架につけよ"と言った。」(母の学生時代の聖書より)としか記述はされていませんが、バッハはこの場面をアリアで清らかに歌いあげて描写しておりその気高い慈しみに満ちた音楽は多くの人の心を打つものとなっています。ブルーノ・ワルターも前後の曲に比してこのアリアは天使のような美しさを持つと言ったそうです。

ドイツ語歌詞
Aus Liebe will mein Heiland sterben,
Von einer Sunde weiss er nichts,
Dass das ewige Verderben
Und die Strafe des Gerichts
Nicht auf meiner Seele bliebe.
日本語歌詞~秋岡陽訳
その愛ゆえに、私の救い主は死のうとしています
たったひとつの罪さえ知らない方ですのに
こうして、永遠の滅びも
裁きの罪も
私の魂に留まらないようにしてくださるのです
バッハ「マタイ受難曲」第49(58)曲アリア"Aus Liebe will mein Heiland sterben"~Jegyung Yang
https://www.youtube.com/watch?v=fCY_AiazQoQ
<門下の小学生の方へ>
クラシック音楽は難しい事でも、また知識を人に自慢する事でもありません。 天才と言われる作曲家の人達も皆同じ人間なのです。 いろんな事を悩み苦しみまたある時は幸せを感じ喜びを感じ、それを音楽で描写して名品と言われる作品が生まれてきました。 古今東西の真理がテーマになっているため、時空を超えて皆に愛されて受け継がれてきています。 絵画でも文学でも音楽でも長い歴史の中を受け継がれてきた芸術品には万民にどこか共通する人間の真実が描かれています。 人が経験できる事はたかが知れています。 芸術に触れる事で人は様々な心の引き出しを増やす事ができます。 喧噪の現代ですが、一日5分でも人類の文化遺産に触れしばし穏やかな時を感じて下さい。
明日はハイドンの弦楽四重奏曲の楽しさについて書きます。

J.S.Bach(1685~1750)はドイツの作曲家ですが、今日はバッハの「マタイ受難曲」について書いてみようと思います。 この「マタイ受難曲」は1727年ライプツィヒの聖トーマス教会で初演された作品ですが、新約聖書の中の「マタイによる福音書」の第26章と第27章の記述をバッハが音楽で描写したものです。
新約聖書には「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」と4つの福音書がありますが、バッハが自分で音楽を付けたのは「マタイ」と「ヨハネ」の2つだけです。
福音書というのは「キリストの誕生からの伝記と言行、そして受難と死と復活」を4人の使徒がそれぞれに記述したものですが、同じ出来事でも4人それぞれ述べる角度が違いますので当然「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」ではバッハの音楽も違ってきます。 何も知らずにただ音楽を聴くだけでもその精神性に深く感動させられますが、聖書の中のキリストの受難の出来事を知るとより音楽への理解も深まるのではないかと思います。


バッハが音楽を付けているのは新約聖書の「マタイによる福音書」の中の第26章1節から第27章66節までの6ページ程の部分ですが、バッハはまず「マタイ受難曲」の冒頭で、キリストが磔になるため十字架へ静かに進む道のりの場面を音楽で描写しています。(第1曲)


そしてバッハは聖書の第26章と第27章を音楽で描写していきます。
聖書の「マタイによる福音書」の第26章と第27章は、祭司長達の合議、ユダの裏切り、最後の晩餐、オリーブ山での弟子たちの躓きのイエスの予言、ゲッセマネの園での人間イエスの苦しみ、捕縛、大祭司の尋問、ペテロの否認、ユダの後悔、ピラトの尋問とイエスの愛、ピラトの判決とイエスへの鞭打ちと民衆のイエスへの嘲弄、イエス・キリストの十字架への道、そして磔、イエスの死、埋葬とキリストの受難を記述しています。。
バッハはこのキリストの受難を聖書の記述に従って音楽でそれを描写していきます。
そして最後は墓前にひざまずく信徒達の祈りを描写した「終曲」で音楽は静かに終わります。

このイエスの受難の場面は聖書の中でも一番良く絵画や文学でも取り上げられる場面ですので皆さん想像はしやすいのではないかと思います。
音楽的にさらに詳しい事は音楽学者の礒山雅さん(1946~)の「マタイ受難曲」(東京書籍)をご参考になさって下さい。 日本を代表するバッハの研究家の方です。
ヘンデルに比べるとバッハはその死後、一部の作品を除けばあまり上演されなくなってしまいます。 バッハを大変尊敬していたメンデルスゾーンは初演以後100年近く経った1829年自身の指揮でバッハの「マタイ受難曲」を復活上演します。 19世紀のバッハ復興運動のきっかけとなった出来事です。
バッハ「マタイ受難曲」第1曲~カール・リヒター
https://www.youtube.com/watch?v=ckPYCVX2I4Y
バッハ「マタイ受難曲」終曲~カール・リヒター
https://www.youtube.com/watch?v=8ZnlgMgou-g
第49(58)曲<アリア>のご紹介
聖書の「マタイによる福音書」の第27章23節では「しかし、ピラトは言った、"あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか"。すると彼らはいっそう激しく叫んで、"十字架につけよ"と言った。」(母の学生時代の聖書より)としか記述はされていませんが、バッハはこの場面をアリアで清らかに歌いあげて描写しておりその気高い慈しみに満ちた音楽は多くの人の心を打つものとなっています。ブルーノ・ワルターも前後の曲に比してこのアリアは天使のような美しさを持つと言ったそうです。

ドイツ語歌詞
Aus Liebe will mein Heiland sterben,
Von einer Sunde weiss er nichts,
Dass das ewige Verderben
Und die Strafe des Gerichts
Nicht auf meiner Seele bliebe.
日本語歌詞~秋岡陽訳
その愛ゆえに、私の救い主は死のうとしています
たったひとつの罪さえ知らない方ですのに
こうして、永遠の滅びも
裁きの罪も
私の魂に留まらないようにしてくださるのです
バッハ「マタイ受難曲」第49(58)曲アリア"Aus Liebe will mein Heiland sterben"~Jegyung Yang
https://www.youtube.com/watch?v=fCY_AiazQoQ
<門下の小学生の方へ>
クラシック音楽は難しい事でも、また知識を人に自慢する事でもありません。 天才と言われる作曲家の人達も皆同じ人間なのです。 いろんな事を悩み苦しみまたある時は幸せを感じ喜びを感じ、それを音楽で描写して名品と言われる作品が生まれてきました。 古今東西の真理がテーマになっているため、時空を超えて皆に愛されて受け継がれてきています。 絵画でも文学でも音楽でも長い歴史の中を受け継がれてきた芸術品には万民にどこか共通する人間の真実が描かれています。 人が経験できる事はたかが知れています。 芸術に触れる事で人は様々な心の引き出しを増やす事ができます。 喧噪の現代ですが、一日5分でも人類の文化遺産に触れしばし穏やかな時を感じて下さい。
明日はハイドンの弦楽四重奏曲の楽しさについて書きます。