FC2ブログ
2017_01
25
(Wed)09:16

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」 変ロ長調 作品83/Prokofiev Sonata for piano No.7 B-Dur Op.83

プロコフィエフ(1891~1953)は生涯で9曲のピアノ・ソナタを残しておりますが、このピアノ・ソナタは、それまで米国、パリで暮らしていたプロコフィエフがソビエトに戻り、彼の創作活動の円熟期ともいえる時期に作曲された作品です。

第6番から第8番までのピアノ・ソナタは第2次世界大戦中に書かれたため「戦争ソナタ」とも呼ばれますが、とりわけこの7番のピアノ・ソナタは演奏される機会も多く、3楽章はアンコール・ピースとしても良く取り上げられます。

初演は1943年1月18日、モスクワでリヒテルによって行われています。

大戦やソビエト体制の深刻な社会状況が当然作品に反映されていると考えられますが、戦争を賛歌したものではなく、反戦歌ではないかと思います。

演奏者に高度な技巧を要求すると同時に、隙のない構成美や美しい抒情性、ダイナミックさ、野性的な活力を兼ね備えており、ピアノ・ソナタ史上でも特筆すべき作品です。

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番♫~ホロヴィッツ
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番♫~リヒテル
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番♫~ガブリリュク
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番♫~ポリーニ
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番♫~アルゲリッチ
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番♫~プレトニョフ


ピアニスト谷真子公式サイト
2017_01
20
(Fri)08:29

プロコフィエフ トッカータ ニ短調 作品11/Prokofiev Toccata d-moll Op.11

プロコフィエフのトッカータニ短調はプロコフィエフがシューマンのトッカータにインスパイアされ1912年に作曲したピアノ曲です。

P1030795.jpg

P1030796.jpg

初演は1916年11月27日ペトログラード音楽院でプロコフィエフ自身によって行われ好評を博しました。

プロコフィエフ(1891~1953)はロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者ですが、サンクトペテルブルク音楽院で作曲・ピアノを学んだ自身も優れたピアニストであった俊英の作曲家です。 1918年のアメリカ亡命の途中、日本に立ち寄り日本各地を訪れリサイタルも開催しており、日本の音楽界への影響は少なくないものがあります。

シューマンのトッカータがハ長調である事や、プロコフィエフのトッカータが極めて無機的である事から、プロコフィエフのトッカータは無調性音楽と捉えハ長調と表記される事もありますが、実際には♭が一つ存在するニ短調の曲です。

プロコフィエフ トッカータ♫~ホロヴィッツ
プロコフィエフ トッカータ♫~アルゲリッチ


ピアニスト谷真子公式サイト
2016_04
22
(Fri)09:25

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第1番 へ短調 作品1/Prokofiev Sonata for piano No.1 f-moll Op.1

プロコフィエフ(1891~1953)のピアノ・ソナタは戦争ソナタと呼ばれる有名な6、7、8番の他多くありますが、ピアノ・ソナタの1番はプロコフィエフがペテルブルク音楽院時代に発表した最初のピアノ・ソナタです。

この曲は今年の第70回全日本音楽コンクールの高校生の部の本選の課題曲の一つです。

第1番を発表する以前に6曲のピアノ・ソナタを手掛けていましたが、その中の3曲を改作し1,3,4番としております。 1番は1907年に作曲したものを1909年に改作したもので、改作の際に第2、第3楽章を省き単一楽章としております。

プロコフィエフが影響を受けたスクリャービンの初期の作風に近く、ロマン派的な作品です。

初演は1910年モスクワ音楽院でプロコフィエフ自身のピアノで行われております。

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第1番♫~ブロンフマン
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第1番♫~フレディ・ケンプ


ピアニスト谷真子公式サイト
2016_03
16
(Wed)08:18

プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第1番 変二長調 作品10/Prokofiev Concerto for piano and orchestra Des-Dur Op.10

ピアノ協奏曲第1番はプロコフィエフ(1891~1953)がペテルブルク音楽院在学中の1911年に構想し1912年に完成した初期作品です。 しかし初期作品でありながら反民族主義的・反ロマン主義的性格が濃厚なすでに成熟期のプロコフィエフの作風を予告するものであり、続くバルトークらの20世紀のピアノ協奏曲の先取りとなる作品となっております。

初演は1912年夏モスクワにおいてプロコフィエフのピアノで行われ作品は師の一人のチェレプニンに献呈されました。

またプロコフィエフは1914年5月18日にペテルブルク音楽院の卒業試験で本作を演奏しアントン・ルビンシテイン賞を受賞致しております。

ピアノ協奏曲第1番はプロコフィエフのピアノ協奏曲中では最も短く全曲を通して15分ほどしかかからず、一部に小休止があるのを除いてすべての楽章が連続して演奏されるためほとんど単一楽章のように聴こえますが、実際には3楽章に分けられております。

P1030202.jpg

第1楽章
1
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 第1楽章♫~キーシン

第2楽章
2
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 第2楽章♫~キーシン

第3楽章
3
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 第3楽章♫~キーシン

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~トリフォノフ
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~マツーエフ
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~アルゲリッチ
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~リヒテル


ピアニスト谷真子公式サイト
2016_03
16
(Wed)08:18

プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第1番 変二長調 作品10/Prokofiev Concerto for piano and orchestra Des-Dur Op.10

ピアノ協奏曲第1番はプロコフィエフ(1891~1953)がペテルブルク音楽院在学中の1911年に構想し1912年に完成した初期作品です。 しかし初期作品でありながら反民族主義的・反ロマン主義的性格が濃厚なすでに成熟期のプロコフィエフの作風を予告するものであり、続くバルトークらの20世紀のピアノ協奏曲の先取りとなる作品となっております。

初演は1912年夏モスクワにおいてプロコフィエフのピアノで行われ作品は師の一人のチェレプニンに献呈されました。

またプロコフィエフは1914年5月18日にペテルブルク音楽院の卒業試験で本作を演奏しアントン・ルビンシテイン賞を受賞致しております。

ピアノ協奏曲第1番はプロコフィエフのピアノ協奏曲中では最も短く全曲を通して15分ほどしかかからず、一部に小休止があるのを除いてすべての楽章が連続して演奏されるためほとんど単一楽章のように聴こえますが、実際には3楽章に分けられております。

P1030202.jpg

第1楽章
1
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 第1楽章♫~キーシン

第2楽章
2
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 第2楽章♫~キーシン

第3楽章
3
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 第3楽章♫~キーシン

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~トリフォノフ
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~マツーエフ
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~アルゲリッチ
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番♫~リヒテル


ピアニスト谷真子公式サイト